「生まれたままで」(乃木坂46)における玉虫織り効果

 先日学会発表の資料を作成しながら乃木坂46の「真夏の全国ツアー2015」を視聴していた際、印象的だったVTRがある。それは各メンバーが乃木坂46の楽曲から自分が好きな歌詞の一節を呟くというものだった。非常によくできた(本当によくできた)VTRだった。

 橋本奈々未(或いは故・橋本奈々未氏)はVTR中で「生まれたままで」の次の一節を口にしていた。

鉄橋の真下で 電車が通過する時
大声で叫んだ 望み少ないあの夢

「生まれたままで」(乃木坂46)より

 この楽曲は兼ねてより筆者も愛好しており、この機会に簡単な批評文を書いてみようと思い立った次第である(これは言うまでもなく無謀な行為である)。

 「生まれたままで」は8thシングル「気づいたら片想い」(2014年4月リリース)のアンダー・メンバーによる楽曲であり、乃木坂46の公式チャンネルからMVのShort Ver.が公開されている。センターは伊藤万理華で、今や選抜超常連の齋藤飛鳥衛藤美彩がアンダー・メンバーであったのは懐かしい。


乃木坂46 『生まれたままで』Short Ver.

 無論アイドルの楽曲というのは歌詞とメロディーのみで評価されるべきものではなく、MVを始めとしてライブ映像やそれぞれのメンバーに関する知見の深さなど多様な要因の総体によって極めて主観的に評価されるべき、形なき芸術作品である。それが一般の音楽作品や文学作品と大きく異なる点であり、批評行為を困難にしている。ゆえに我々は、基本的には、それらを愛する以外に真っ当な術を持たない。

 先ずこの楽曲の特徴として、歌詞とメロディーのアンビバレントな関係性が挙げられる(結局歌詞とメロディーかい!とツッコミ・マイセルフしたくなるが、それは先に述べたような理由から仕方のないことで、これより領域を広げようとすると、可能ではあるが、それは熊本城の瓦と石垣を同時に数えようとするくらい途方もない作業である)。すなわち、これまでの人生への疑問と余生への不安を描いている歌詞(無論これは筆者の陳腐な要約に過ぎない)に対して、アップテンポな曲調が用いられておりMVの中の彼女たちも皆笑顔で楽しそうにしているということだ。

 ところで着物の織り方の1つに「玉虫織り」と呼ばれるものがある。これは縦糸と横糸に異なる色の糸を用いることによって、仕上がった着物が光の具合や見る角度によって様々な色に見えるような織り方のことである。

 筆者は、「生まれたままで」における歌詞とメロディーの関係性も玉虫織りのようなものではないかと思っており、視聴体験に様々な影響を及ぼすものだと考え、今これを「玉虫織り効果」と命名する。

 ここで「生まれたままで」Short Ver.で視聴可能な1番の歌詞を精読する。

夕焼けに染まった コンビナート地帯は
燃え尽きた何かが 空に立ち上る
鉄橋の真下で 電車が通過する時 
大声で叫んだ 望み少ないあの夢
学校辞めたことは 今も後悔してない
問題なのは あまりに長い 命の残り
生まれたまま ずっと自由に生きられたら
今 どうしてるだろう?
真っ白だった羽も汚(けが)れてはいなかった
いくつの嘘 自分に言い続けたのかな?
誠実じゃない 僕はその分大人になった

「生まれたままで」(乃木坂46)より

  「生まれたまま〜僕はその分大人になった」というサビ部分だけに着目するとその主張は分かり易い。いつの間にか見栄や嘘を覚え、自由に生きることができなくなった自分に言及している。乃木坂46の他の楽曲にも似た歌詞が存在し、例えば「真夏の全国ツアー2015」の当該VTRで齋藤飛鳥が口にしていたのは以下の一節であった。

見栄や体裁 取り繕っているうちに
親から貰った顔が 嫌いになってた

「転がった鐘を鳴らせ!」(乃木坂46)より 

  しかし「夕焼けに染まった〜命の残り」の部分の歌詞を見ると、話はそう単純でないことが分かる。

 ・・・単純でない。

 ・・・単純でない。

 ・・・単純でない!

 それ以上私は何も考えることができなくなってしまった。

 やはり今回の批評は失敗に終わってしまったようだ。アイドルに関わるものを批評するなんていう試みはもう二度とするまい。

 あの一節を選んだ橋本奈々未は素晴らしい。

 伊藤万理華の顔。

 何が玉虫織り効果だ糞食らえ。

 つまり私が言いたいのは、彼女たちは「今、生きている」ということだ。

広告を非表示にする